瞑想2:瞑想で出会った体の声
- 達也 早崎
- 6月30日
- 読了時間: 3分

ここからは、少し個人的な体験を書いてみたいと思います。
これは科学的な事実を説明するものではなく、私自身が瞑想の中で経験した一つの出来事です。
もし皆さんが瞑想を実践される際の参考になれば幸いです。
ある日、私は疲れ切ってしまい、気が付くとソファーで眠っていました。
目を覚ますと夜中の3時。
身体は少し休まったように感じるものの、頭の中には重たい霧がかかったような感覚が残っていました。
思考は鈍く、身体もどこか重だるい。
寝起きなのに、すっきりしない。
「身体は休めても、脳はまだ休み切れていない。」
そんな感覚でした。
シャワーを浴び、もう一度眠る前に、いつもより少し長めに瞑想をしてみようと思いました。
呼吸へ意識を向けます。
しかし、その日は呼吸よりも、身体の重だるさの方が強く感じられました。
「今日は何だか重いな。」
そんな程度の感覚でした。
ところが、そのまま静かに座り続けていると、不思議なことが起こりました。
全身が、まるで柔らかいゴムに包まれたような、とても重い感覚に変わっていったのです。
身体が沈んでいくような感覚。
重力に優しく押さえられているような感覚。
その輪郭は曖昧なのですが、確かに全身で感じていました。
最初は、
「これは何だろう。」
そう思いました。
しかし今回は、その感覚を消そうとはせず、評価もせず、ただ観察してみることにしました。
すると、その重さは少しずつ輪郭を持ち始めます。
身体は力が抜け、
重さだけが静かに存在しています。
その瞬間、ふと一つの考えが浮かびました。
「私は普段、この感覚を感じないように頑張り続けているのかもしれない。」
普段は仕事があります。
講座があります。
考えることもたくさんあります。
だから身体が発している小さな声に気付かないまま、前へ進み続けていたのではないだろうか。
そんな気がしました。
そしてもう一つ思いました。
「この感覚は、疲れ切って動けなくなった休日の朝の感覚によく似ている。」
もちろん、この感覚が何だったのかは分かりません。
脳疲労だったのかもしれません。
身体の疲労だったのかもしれません。
あるいは、自律神経や筋緊張の変化だったのかもしれません。
本当のところは分かりません。
しかし私にとって確かだったのは、
普段は気付いていなかった身体の感覚と、静かにつながることができた。
という体験でした。
心理療法には、「フェルトセンス」という考え方があります。
まだ言葉にならない身体の感覚に静かに寄り添うことで、自分自身への理解が深まっていくという考え方です。
今回の体験は、まさにその感覚に近かったのかもしれません。
しばらくその重さと共にいると、不思議なことに、少しずつ身体全体が緩んでいくような感覚がありました。
重さそのものが消えたわけではありません。
けれど、それと戦わなくなったことで、身体が少し安心したようにも感じました。
もし、いつの日か、この重さから少しずつ自由になれる日が来たなら。
毎日はどれほど軽やかになるのだろう。
世界はどれほど鮮やかに見えるのだろう。
そんなことを思いながら、私は再び眠りにつきました。
瞑想には、集中力を高めたり、心を落ち着かせたりするだけではない側面があります。
それは、自分でも気付いていなかった身体の声に耳を澄ませ、自分自身と静かにつながる時間でもあります。
忙しい毎日の中では、その声は小さすぎて聞こえません。
だからこそ、ときには立ち止まり、自分の内側へ意識を向ける時間を持つことにも、大きな意味があるのではないかと思っています。
私は、この追記は非常に良いと思います。
医療メンター協会 メンターコーチ 早崎達也 2026年6月



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