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瞑想2:瞑想で出会った体の声


ここからは、少し個人的な体験を書いてみたいと思います。

これは科学的な事実を説明するものではなく、私自身が瞑想の中で経験した一つの出来事です。

もし皆さんが瞑想を実践される際の参考になれば幸いです。



ある日、私は疲れ切ってしまい、気が付くとソファーで眠っていました。

目を覚ますと夜中の3時。

身体は少し休まったように感じるものの、頭の中には重たい霧がかかったような感覚が残っていました。


思考は鈍く、身体もどこか重だるい。

寝起きなのに、すっきりしない。

「身体は休めても、脳はまだ休み切れていない。」

そんな感覚でした。


シャワーを浴び、もう一度眠る前に、いつもより少し長めに瞑想をしてみようと思いました。


呼吸へ意識を向けます。

しかし、その日は呼吸よりも、身体の重だるさの方が強く感じられました。

「今日は何だか重いな。」

そんな程度の感覚でした。


ところが、そのまま静かに座り続けていると、不思議なことが起こりました。

全身が、まるで柔らかいゴムに包まれたような、とても重い感覚に変わっていったのです。

身体が沈んでいくような感覚。

重力に優しく押さえられているような感覚。

その輪郭は曖昧なのですが、確かに全身で感じていました。



最初は、

「これは何だろう。」

そう思いました。

しかし今回は、その感覚を消そうとはせず、評価もせず、ただ観察してみることにしました。

すると、その重さは少しずつ輪郭を持ち始めます。


身体は力が抜け、

重さだけが静かに存在しています。

その瞬間、ふと一つの考えが浮かびました。


「私は普段、この感覚を感じないように頑張り続けているのかもしれない。」


普段は仕事があります。

講座があります。

考えることもたくさんあります。

だから身体が発している小さな声に気付かないまま、前へ進み続けていたのではないだろうか。

そんな気がしました。



そしてもう一つ思いました。

「この感覚は、疲れ切って動けなくなった休日の朝の感覚によく似ている。」

もちろん、この感覚が何だったのかは分かりません。

脳疲労だったのかもしれません。

身体の疲労だったのかもしれません。

あるいは、自律神経や筋緊張の変化だったのかもしれません。

本当のところは分かりません。

しかし私にとって確かだったのは、


普段は気付いていなかった身体の感覚と、静かにつながることができた。

という体験でした。


心理療法には、「フェルトセンス」という考え方があります。

まだ言葉にならない身体の感覚に静かに寄り添うことで、自分自身への理解が深まっていくという考え方です。

今回の体験は、まさにその感覚に近かったのかもしれません。

しばらくその重さと共にいると、不思議なことに、少しずつ身体全体が緩んでいくような感覚がありました。


重さそのものが消えたわけではありません。

けれど、それと戦わなくなったことで、身体が少し安心したようにも感じました。


もし、いつの日か、この重さから少しずつ自由になれる日が来たなら。

毎日はどれほど軽やかになるのだろう。

世界はどれほど鮮やかに見えるのだろう。

そんなことを思いながら、私は再び眠りにつきました。



瞑想には、集中力を高めたり、心を落ち着かせたりするだけではない側面があります。

それは、自分でも気付いていなかった身体の声に耳を澄ませ、自分自身と静かにつながる時間でもあります。


忙しい毎日の中では、その声は小さすぎて聞こえません。

だからこそ、ときには立ち止まり、自分の内側へ意識を向ける時間を持つことにも、大きな意味があるのではないかと思っています。

私は、この追記は非常に良いと思います。


医療メンター協会 メンターコーチ 早崎達也 2026年6月

 
 
 

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