人と人との境界線を引くということ― 課題の分離と、価値に沿って生きるという選択 ―
- 達也 早崎
- 7月13日
- 読了時間: 6分

先日の夜勤で、改めて考えさせられる出来事がありました。
私は夜勤アルバイトですが、その日はリーダー業務を担当していました。
緊急入院が予定されていたため、事前にスタッフへ状況を共有し、「入院対応を手伝ってほしい」とお願いしていました。
ところが、そのスタッフは私に声を掛けることなく休憩へ入り、結果として緊急入院の受け入れは予定より遅れることになりました。
休憩から戻ってきた後も、自分の業務を始めたため、私はナースコール対応をお願いしました。
すると、
「私はやることがあるので。」
そんな表情と口調でした。
もちろん、その方にも事情があったのかもしれません。
だからこそ私は、
「なぜこんなに防衛的になってしまうのだろう。」
「私はお願い(リクエスト)をしているだけなのに、何が相手をそうさせるのだろう。」
そんなことを考えていました。
そして、
「忙しいのであれば報告してほしい。」
「患者さんを優先するために、一緒に方法を考えられたのではないだろうか。」
そんな思いも湧いてきました。
でも、その出来事以上に私の心を揺らしたものがありました。
それは、
「メンターとしてコミュニケーションを伝えているのに、こんな職場でうまくいかない自分を、周りはどう見ているのだろう。」
という思いでした。
患者さんの安全が最優先であることは変わりません。
それでも私は、自分の無力さや不甲斐なさを感じ、少し落ち込んでいました。
「課題の分離」
そんな時、私の中に浮かんできたのが、アドラー心理学の「課題の分離」という考え方でした。
「課題」と聞くと、「問題」や「悪いところ」のように聞こえるかもしれません。
しかし、ここでいう課題とは、「誰がその選択をするのか」という境界線のことです。
人には、人それぞれの人生があります。
どんな価値観を持つか。
どんな態度で仕事をするか。
何を優先して行動するか。
それを最終的に決めるのは、その人自身です。
もちろん、職場では対話も必要です。
改善を提案することも大切です。
しかし、その提案を受け入れるかどうか、その後どんな行動を選ぶのかまでは、私が決めることはできません。
そこまで背負い込もうとすると、知らないうちに相手の人生までコントロールしようとしてしまいます。
課題の分離とは、相手を切り離すことでも、諦めることでもありません。
「ここから先は相手が選ぶ領域であり、私はそこをコントロールすることはできない。」
そう認めることです。
そして同時に、
「では私は、どんな人間として、どんな行動を選ぶのか。」
その選択に意識を向けることでもあります。
これは冷たい考え方ではなく、お互いを一人の人格として尊重するための健全な境界線なのだと思います。
「価値に沿って生きる」
もう一つ、最近強く感じていることがあります。
それはACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)の考え方にも通じますが、
人は感情ではなく、価値に沿って生きることができる。
ということです。
医療メンターの活動は、批判されることもあります。
「理想論だ。」
「きれいごとだ。」
「言っていることとやっていることが違う。」
そんなふうに思われることもあるでしょう。
(綺麗事の理想論を言って、現場を見てない、忙しさを理解してくれない、鼻につく)など
実際、この3年間、医療メンター協会の活動を続ける中で、そのような経験も少なくありませんでした。
それでも、私は続けようと思っています。
なぜなら、周囲が私をどう評価するかは、その人自身が決めることであり、私にはコントロールできないからです。
一方で、
私はどんな人間でありたいのか。
どんな医療を未来へ残したいのか。
どんな関わりを積み重ねていきたいのか。
その選択は、私自身が決めることができます。
ACTでは、価値とは「到達するゴール」ではなく、「人生の進む方向」を示す羅針盤のようなものだと考えます。
だから、価値に沿って生きるとは、
結果が出たから続けることでも、
周りから認められたから続けることでもありません。
自分が信じる方向へ、一歩ずつ歩み続けることそのものに意味がある。
私はそう考えています。
だから私は思います。
噂や批判に、自分の人生の主導権を渡さない。
他人の評価を、自分の人生のハンドルにしない。
もちろん、私自身も未熟です。
感情が揺れる日もあります。
落ち込む日もあります。
それでも、そのたびに思い出したいのです。
相手には、相手が選ぶ人生があります。
私には、私が選ぶ人生があります。
だから私は、相手を変えることに力を使い過ぎるのではなく、自分がどんな人間でありたいのか、その価値に沿った行動を選び続けたい。
そして、自分だけが良ければいいのではなく、相手も、自分も、患者さんも大切にできる道を探し続けたい。
その積み重ねが、少しずつ職場に安心を増やし、信頼を育て、より良い医療へとつながっていくと信じています。
すぐに結果は出ないかもしれません。
それでも、自分が正しいと信じる善い行いを積み重ねることは、誰にも奪うことのできない自分自身の生き方です。
私はこれからも、その価値に沿って、一歩ずつ歩み続けていきたいと思います。
「歩き始める人へ」
最後に、これからメンターとして活動してみたい人、医療業界で「何かを変えたい」「誰かの力になりたい」と思っている人へ、お伝えしたいことがあります。
人は、未熟な存在です。
私も含めて、多くの人は変化を恐れます。
新しいことに挑戦する人を見れば、「理想論だ」「きれいごとだ」と言いたくなることもあります。
そして、不平や不満、愚痴は、ときに現実と向き合わなくて済む便利な道具になります。
それがあれば、自分は変わらなくてもいい。
努力しなくてもいい。
困難や失敗と向き合わなくてもいい。
だからこそ、人はそこへ流されやすいのだと思います。
もちろん、私自身も不満を口にすることがあります。
愚痴を言いたくなる日もあります。
「もうやめてしまった方が楽なのではないか。」
「その方が穏やかに生きられるのではないか。」
そう思うことも、一度や二度ではありません。
それでも、私はこの活動を続けています。
なぜなのだろう、と考えたことがあります。
その答えは、とてもシンプルでした。
私には、私を信じてくれる人たちがいます。
家族がいます。
友人がいます。
仲間がいます。
そして、私もまた、その人たちを心から信じ、敬愛しています。
その人たちとのつながりは、批判や噂で生まれる一時的な関係よりも、ずっと深く、ずっと強いものです。
たとえ離れて暮らしていても、
しばらく会えていなくても、
一度築かれた心の回廊は、簡単には消えません。
そのつながりは、
「もう一度立ち上がろう。」
「もう一歩だけ進んでみよう。」
そんな勇気を、何度も私に与えてくれました。
だからもし、あなたが何かに挑戦しようとして、心ない言葉に出会ったとき。
誰かの批判が頭から離れなくなったとき。
どうか、その人の声ではなく、
あなたの人生を支えてくれた人たちの顔を思い浮かべてください。
あなたの心の中にある、大切なつながりを思い出してください。
人は、一人で強くなるのではありません。
信頼できる誰かとのつながりの中で、何度でも立ち上がることができます。
もし、一人では難しいと感じたなら、私でも構いません。
どうか、声をかけてください。
一緒に考えましょう。
一緒に悩みましょう。
そして、一緒に未来を、一歩ずつ創っていきましょう。
それが、私の考える「共同体感覚」であり、医療メンターとして届け続けたい願いです。



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